寺好記
お寺が好きなんです。
と言うとまだましなんだけど、
仏教が好きなんです。
と言うとほぼ確実に一瞬引かれるよね。
まあ、わかります。特に日本人には「仏教」と言う言葉にそんなに良いイメージはないですもんねぇ。
そんなに悪いイメージもないとは思うけど、まず思い浮かべるのは、仏壇やお坊さん、そして葬式をイメージするでしょうし、それらを好きになる理由をあまり思いつかないだろうなと思います。
当然の事ながら、仏壇や坊さんに興味があるわけでなく、私が好きなものは仏教の歴史などについてであります。大したことはなく、関西の寺をフラフラ回ったり、仏教の入門書を少しかじってるくらいです。さて、なぜ仏教が好きになったのか?まず、最初は寺を回るようになったきっかけなどを少々。
大学を卒業して1年前後だったかな。彼女にも振られ、毎週末は友人宅で飲み明かし、朝に家に帰るような日々だった。そんなある晴れた朝、季節は冬の終わりくらいか、友人宅で目を覚ましたらとてもいい天気で、なんだか歩いて帰りたい気分になり、二日酔いだったけどフラフラ帰ることにした。歩いて帰ると1時間くらいかかるんだけどね。
あえて通ったことのない路地を歩いていたら、ひとつの寺を見つけた。こじんまりした中国風の門のあるお寺だった。もともと歴史は好きで、お寺にも興味があったので、暇に任せて入ってみることにした。
建物自体は大きくなかったけど、なんだか趣のあるたたずまい。素晴らしい青空とあいまって気分が良い。意外とそのお寺の敷地は広くて、奥の山肌に五百羅漢像があった。仏像というか仏弟子の簡素な石像なので見た目はお地蔵さんに近い。そんなものが山の至るところに散在している。それが妙に心地よくて、神聖な感じがして、とても気分が良かった。自然に溶け込んでいる感じというのかな。人工物なんだけど自然の一部というか。たとえ人工物でも数百年経っているものは、ほとんど自然と同化してる気がする。そもそも自然のものを加工して作ってるだけだし。それが時間の経過と共に一体化していく。自然に戻ると言うべきか。
そんなこんなで寺って、仏像っていいなと思い始めた。身近で比較的年数が経ってるものだし、その思想にも歴史がある。日本のお寺はあんまり綺麗に改装しないから(中国はよく極彩色に塗り直す。もともと日本の古いお寺も極彩色が多かったらしいが。)、それが都合が良かった。そこからちらほら意識的に寺に行くことになった。ほぼ毎週末バイクで寺にいってたなー。なんか記録として残したくて朱印集めたり、自然に般若心経覚えたり。正直信仰心はまったくないのだが、寺の境内に入ると身を正したくなるし、仏像には自然と手を合わせる。
まあ、こんな感じでここから仏教の深みにハマっていくことになるのです。。