kojo’s blog

サラリーマンの独り言

大学①

とりあえず京都の大学に行きたくて、なんとか後期日程で受かったのは卒業式も終わったあと。ここらへんの記憶は曖昧なんだよな。遠かったので大学に直接合格発表を見に行けなかったし、ネットも見れないから合否は郵送で知る。何回も落ちてるのでもうわかっていたが、不合格の場合はハガキやうっすい封筒でくる。考えればかんたんな話で、不合格の場合は「不合格」以外の情報は不要だけど、合格の場合は手続きなどがあるので書類が送られてくる。だからちょっとボリュームのある封筒が届く。どんな封筒だったか思い出せないが、とにかくちょっと分厚目の封筒が大学から届いた。卒業式も終わってたから家にいたんだろうな。おかん家に居なかった気がする。

 

開けるときはめっちゃドキドキした。これに落ちたら浪人だ。自分で勝手に大学を受けることに決めて、受験費用もほとんど自分で出してやった受験だ。工業高校卒だし、別に親も絶対に大学に行ってほしいと思っているわけではない。予備校に行くことは難しいので、バイトしながら自宅浪人だな。一年間モチベーションが保てるかなー?そもそもまだ勉強初めて一年経ってないんだよな。絶対に前半はダラダラするだろうなー、俺って弱いからなー。とか考えながら開けた。と思う。合格だった。

 

その時の感覚は思い出せないが。当たり前だけど嬉しかったのだろう。高校は行きたいところに行けなかったし、スポーツも勉強も美術系も何もかも、そこそこはできるんだけど得意なことということはなかったので、表彰されたこともなかったし、何かを最後までやり遂げたこともなかった。初めて自分で目標を立てて、自分でやりきったことだった。だからとても嬉しかったと思う。確かすぐに親父に電話した。これも内容はおぼえてないけど、言葉少なに祝福されたと思う。学校にも連絡した。大学名を言うと「〇〇学部(その大学で偏差値が低い宗教系の学部)か?」と言われて変態扱いされた。普通に考えたらたいした大学じゃないんだけど、うちの学校から一般入試で偏差値50台の大学行くというのはそれだけ珍しかったのだ。学校は完全に無視して受験してたからだれも知らなかったしな。

 

もう3月も終わりだったので急いで住むところを探しに行った。おかんと二人で電車で大学に行き、入学の手続きをして、生協で物件を探して二軒目で決めた。駅のホームが窓から見える部屋。何なら窓からホームにも降りれる。のちに酔っ払って夜中に降りたりもする。電車の音はちょっと気になるが、電車は止まるし夜中は走らないからすぐに気にならなくなった。安いし広い。帰って荷造り。これも記憶にない。親父が借りてきた会社のバンに友人の兄からもらった一人暮らし用家電や食器類と、ギターを詰めこんだ。荷物は少なかったな。親父と二人で車で京都に向かう。何を話したんだっけ、何も話してない気がする。荷物をおろして、一人になった。これから一人暮らしが始まるんだ。全く不安はなかった。期待しかなかった。こんなワクワクする気持ちこれ以降にあったかな?今思い出してフワフワしている。

 

書けない

 相変わらずモゾモゾと生きている。行動を変えないと行けないとはわかっていながら、何も変えられないこのクズが!って、いま世界中の何人が考えてるんだろうな。たくさんいるんだろう。多分、おそらく、ほんとに、居てくれ。。。こんな駄文を書いてる暇があったらもっとやることがあるだろう、ほら!ほら!!ほら!!!

 という感じの日常を送っています。誰に書いているのか?ただ、自分に書いているのです。考えがまとまらないときには、とになくなんか書けって誰かが言ってたので。ありがとう誰かさん。あなたのおかけでこうして文字を連ねることができています。文章書くのってこわいよね。論理的にかけって言うけどさ、よくわからないよね。一文書くだけで無理やりなんとか捻り出してるのに、段落全体の構成がちゃんと論理的になってるかなんてわからないよ!なんてこと言ってるから出世しないのか。そうですか、そうですよ。

 そうだ、思い出した。

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

  • 作者:古賀 史健
  • 発売日: 2012/01/26
  • メディア: 新書
 

これ持ってたわ。

ちょっと週末に読み直そうと思います。

中学②

中1の途中くらいからずっと遅刻気味だったんだけど、中2くらいからめっちゃ早く行くようになった。先生よりも早いくらい。そんで、同じくらい早く来てる奴らと喋ってた。何を話してたか、なんでそんなに早く言っていたのかはもう忘れちゃったな。それがかっこいいと思ってたのか?

 

学校は山の上にあって、うちから学校へ行く道は裏道だった。裏道とは言っても道幅は広いし、新しく舗装された綺麗な道だ。正門とは反対側から通学する人達のために作られたんだろう。ほとんど一直線の坂で冬になると雪が積もってスキー場みたいだ。

 

うっすらと雪の積もった、足跡ひとつもない学校への坂道を、自分が最初に踏みしめて歩くのがとても気持ちが良かったことだけは覚えている。

中学①

中学生の時はなにを考えて生きていたのだろうか。小学校からの惰性でサッカー部に入ったが、下手クソだったのでずーっと補欠だった。悔しい気持ちがなかった訳ではないが、どうもチームプレーは苦手らしい。これは今でも同じだ。人に考えを伝えるのが苦手なのだ。言語化が苦手というよりかは、「自分の考えを他人に共有してもらえるとは思えない」という感覚があって、声がかけられないことが多かったと思う。なので試合中に意思疎通ができない。よってチームプレーができない。まあ、その前に個人技でダメだったから同じなんだけどね。

 

成績はそこそこかな。250人中100位前後。勉強は好きでも嫌いでもなかった。宿題は嫌いだったのでしないことも多かったかな。ちょっとヤンチャな、でも学校のヒエラルキーでは上の方ではないやから達と遊んでることが多かった。だんだんと疎遠にはなっていったけど。それとは違う全く普通の友達ももちろんいた。そっちの方が精神的な繋がりは多かった気がする。中2のときはご多分にもれず厨二病気味だったと思う。作文で人の頃しかたとかを論じてたのもこの頃だった、あー恥ずかしい。

 

音楽は好きでも嫌いでもなかったんだけど、中2くらいからかな。急に楽器に興味が湧いてきた。モテたかったのもあるし、バンドがかっこよく見えてたのもあったかな。聞いてたのはミスチルとかをスピッツだったんだけど、兄や友人から教えてもらった洋楽とかもちょこちょこ聞き出した。ギターの練習も始めて、ギターにタオルを巻いてストロークの練習とかしてたなー。テンションの高めなアコギだったので直ぐに指が痛くなった。でも必死にコード覚えてた。友人とビートルズのバンド組もうとしたけど、メンバーが集まらずに諦めた。その時はベースが手に入ったのでベースの予定だったけど、結局メンバーが集まっても出来なかった気がする。。

音楽に興味が湧いてくると、ぜんぜん興味のなかった音楽の授業も楽しくなり、それまで平均点くらいだったのが一気に90点くらいになった。現金なものだ。

雑文よろしく

ちょっとアウトプットが滞っていた。無理やりするもんじゃないけど、少し強制力を持ってやらないと、生活全体のアウトプットも少なくなってきてしまう。そしてアウトプットを意識しないと、インプットの方の質も量も下がってしまって来ている気がする。土日は疲れが溜まるし、自分の時間が圧倒的にないので、インプットとアウトプットを忘れてしまいがちになる。そうすると気持ちも沈んでくるんだよな。これを戻すには結構時間がかかる。本とか読んでても上の空になってしまう。

 

だから無理やりにでも何か行動しないいけないな。ということでこんな雑文を書き始めている。目的も何も無く始めているので、何を書くかも分からない。ここまで書いた内容も全く考えずに書いている。でも少し落ち着いてきた。スマホ上で15行くらい書き進めてきているんだけど、それだけでも成果が見えると少し気が楽になってくる。今は成長することに対して強迫観念のようなものを持っているからだと思う。何か少しでも前進していないと不安で仕方がない。だからインプットとアウトプットができていない状況は不安で不安で仕方がないのだ。それで、とにかく無理やり文章を書いてその文面を見て成果を感じることで、不安を和らげる。

 

今まで意識はしてこなかったけど、こうことって昔からあったな。レポートとか書いてる時に、内容は置いていて、まったく何も書けないと苦しくて苦しくてたまらないけど、文字が埋まってくるとなんだかテンションが上がってきてすらすらかけたりする。そういうことだな。始めないと始まらない。当たり前だけど、体調崩したりとかちょっとしたきっかけでまた止まっちゃうんだよな。

 

少しだけ気分が乗ってきたので、アウトプット大全でも読み直してやる気だすか!

 

 

高校⑦

変な人間に憧れていたし、変な人間だったと思う。今考えたら厨二病全開な気もするし、ちょっと方法性は違うかもしれない。特定の世界観にハマってたりはしなかったし、悲観的に生きていたということも無い。中二の時はちゃんと厨二病だったかも。学校の作文にバレない人の⚫しかたの考察とか書いてたもんなぁ。。高校の時はもう少しマシで、色んなことに興味があったんだと思う。

こんなのも読んでたなー。

人格改造マニュアル

人格改造マニュアル

 

これ読んでカフェインの錠剤とか買ってました。なんで何回も読み返してたんだろう。。

 

高校の時は普通に兄貴の読んでた村上春樹とかを読んでたかな。ねじまき鳥クロニクル読んだ時は達成感あったなあ。ノルウェーの森はなかなかソフトポルノだった。この頃から本が好きになってきてた気がする。村上春樹のおかげで長編の本が読めるようになった気がする。大学は文学部に行きたかったんだよなー。結局色々落ちて経営学部に入ったんだけどね。授業中にジョン万作の逃亡を読んでいて、数学の教師に取り上げられ、小テスト中に読んでいたその教師に、授業後に貸してくれと言われたのはいい思い出。

 

その頃にはどんな軸があったんだろう。とにかく他人に認められたかったというのはあった。でも普通の事じゃ嫌だった。結局認められてはいなかったけれど。自分の力で大学進学したのは大きかったかな。どんな大人になりたかったのだろうか。とにかくバンドはしたかったけれども。。

何も考えてなかったのかもしれない。。

高校⑥

高校の時には某ファーストフード店でアルバイトをしていた。平日は2時間くらい。休日は7時間くらい。何故そこで働き出したかは思い出せない。ギターが欲しかったのか、バイトしてみたかったのか、プレステが欲しかったのか。。お金は欲しかったけど。うーん。やっぱり思い出せない。なんか、チラシのバイト募集の欄を見て決めた気がする。毎日9時とか10時に帰ってきて、そここら晩御飯食べてたな。その頃親父と会ってたのだろうか。。ホンマに何してたか覚えてない。

 

別の高校に行っている中学校の時の知り合いが働いていて、そいつがその店の初期からのメンバーだったから馴染みやすかった。彼とはバイト前もバイトしてからも別段仲は良くなかったのだが、友達の友達って感じで適度な距離感を取ってた。部活もクラスも違ったらそんな距離感になるよね?高校も違ったし。バイトのシフトもほとんど被らなかったからなー。とりあえずそいつのおかげで馴染みやすかったのは確かだ。

 

うちの高校はバイト禁止だったんだけど、タバコ代を稼ぎたい何人かは日頃からやっていた。私はタバコ代にはしてません。実は高校のめっちゃ近くて働いていてたんだけど、何故か見つからなかった。見つかったら停学だったと思う。長期の休みは許可を取ればバイトできるんだけど、赤点があったらだめで、ご期待の通り赤点があったのでダメだった。一応言い訳しとくと、うちの工業高校では、専門科目は平均点が赤点だったりするんですよ。誰も勉強なんてしないからね。。

 

バイトは楽しかったし、人間関係も良好だった。社員にも可愛がられ、なぜが社員とその奥さんとご飯食べに行ったりした。忘年会みたいな飲み会では高校生だけど酒も飲んだりしてた。エロい人妻のバイトマネーとかいたなー。その、知り合いの同級生が馴れ馴れしかったからもしかしたらなんかあったのかもね。その人妻と私が仲良く話してたらめっちゃヤキモチ焼いてたもんなぁ。後輩の女の子たちも可愛くて楽しかったな。信じて貰えないかもしれないけど、高校の時はホンマに恋愛に興味がなくて(女体には興味あったし、エロ本とかコレクションしてたけどね。)全く恋愛対象ではなかったけど、女の子と話したりするのは楽しかった。いや、そんなに話してないか。でも良好な関係ではあった。飲み会で、自分含め男3人が並べられて、女子高、大生6人に誰が1番かっこいいか指さされるゲームして、そのうちの5人に指さされたぜ!!なんの自慢やねん。

 

仕事もちゃんとやってたよ。言われたことは確実にこなしたし、自分で考えて在庫コントロールもしてた。今の仕事の仕方とあんまり変わってないのかもしれない。常に期待の少し上を目指してた気がする。順調にランクアップもしてお店のバックを回す立場も何回かやった。でもピーク時はうまくいかなかったな。売れて減る量と作る量の計算や、指示がうまくいかなかった。これも今の仕事と通じる部分がある気がする。これについては最近コーチングの勉強を始めたので改善していきたいなと思っている。